物件/障害/「いい時間」について考える
高田馬場の物件、だいぶ検討し尽くしたかな…と思ったけど待っていると新しい物件が出てくるのだな、当たり前だけど。早く決めたい気持ちもあるけど、意味のない妥協はせずにいきたい。自分の中の納得感を大切にしたい気持ち。
今日は一日、AdobeやらCloudflareやらの障害が発生して、ネット環境や仕事に大きな影響が出た人もいるはず。AWSで障害が起きたときも思ったけど、皆便利なものを使うのは仕方がないことなので、そこでトラブルが起きたらもう仕方がないよね、と。環境や時間の価値についていろいろ考える。
『なぜ人は締め切りを守れないのか』という本を読んだ。時間がどのように扱われてきたか、扱われているか。「いい時間」と「時計」の話。そうだよな、と感じた部分から一部分(第5章「いい時間を作る――時間正義のためのデザイン」、223〜225ページより)引用しておく。
こうした時間搾取は、通常のコスト計算には含まれない。プロジェクト完遂後に大きな利益を上げたとしても、その成功の影には奪われた無数の〈いい時間〉が隠されている。この影の部分を見ようとすると、人々はこう言い含めようとするだろう。「だって仕事だから仕方ない」「経済を回すためには避けられない」。
測れないものは、存在しないかのように扱われてしまう。それゆえ、プロジェクトを擁護する声は止みがたい。しかし、これに対して私は批判を向けたい。私たちの〈いい時間〉は確かに存在するし、それはたしかにプロジェクトの〈時計〉と締め切りによって奪われてしまうし、私たちはこの時間の簒奪に対して反抗していくべきだ、と考える。
プロジェクトの〈時計〉を修正してしまうと、生産効率が下がってしまう、という声に対して、私は、たとえそうだとしても、〈いい時間〉を過ごせるのならば、それはとても価値のあることであり、成果物のクオリティや価値が下がったり、量が減ったりしても、それを補ってあまりある価値を私たちに与えてくれることが十分に考えられる、と反論したい。
今日作った夕飯
- ごはん
- カツオのたたき
- 牛肉と里芋の煮っ転がし
- ピーマンとちりめんじゃこの炒め物
- ホウレンソウの胡麻和え
- ナメコと豆腐の味噌汁