自他の境界、メディアに期待すること
自分はひょっとしたら自他の境界がゆるめなのかもしれない。小学校のころ、すぐ近くで女の子が貧血で倒れたことがあって、一緒に(自分自身はなんともないはずなのに)気分が悪くなってしまっていたのを思い出す。ネガティブな方向に引っ張られやすいみたいなので、気を付けないといけないなと思いつつ、何も感じないよりはよいのかもしれないとも思う。
もし報道において最も重要なのが「客観性」と「速報性」であるというのがほんとうなら、たしかにそのような「知的プロセス」は無用のものである。出来事の「解釈」に踏み込めば「主観」がまじるし、歴史的「文脈」を論じれば速報性とは無縁の「長い話」を語らなければならない。ストレートニュースを「未加工」のままごろんと放り出ておけばメディアの仕事は終わるなら話は簡単だ。
言わんとすることはわからなくもない。ただ昨今、あまりにも恣意的で党派性に偏りすぎた報道を目にしすぎていて、それならただ単に事実をありのままに伝えてほしいと思ってしまう。伝えることの捏造すら行ってきたここ数十年のメディアに対して、期待していることは正直少ない。
ただ、客観的である努力をし続けてほしいと思っているし、受け取り手が自分の考えや判断をする材料をきちんと公平に提供してほしいなとは思う。
今日読んだ本
- 『青春ブタ野郎はディアフレンドの夢を見ない』
- とうとう完結してしまった
- 実は主人公自身が原因でいろいろ起こっていて…というのは物語シリーズを想起させる(他にも共通点はいろいろあるけど)
今日作った夕飯
- ごはん
- ハンバーグ
- 合挽じゃなく、牛ひき肉オンリーにしてみた
- もやしの茹でたの
- じゃこ天のあぶったの
- エノキタケと油揚げと小松菜の味噌汁