AIで生産性を上げたその先の話
AIを使って本当に実現したいことは、生産性を上げることじゃなくて。仕事がもっと楽に終わるようになって早く帰れたり、働く時間を減らしたりできることなのでは。仕事をAIに任せることで浮いた時間をさらに仕事に使う競争になっていく現状を見ていると、なんだかなあと思ってしまう。
そもそも生産性ってなんだ、という話である。「生産性」の本来の定義からすれば、投入した生産要素を分母に、得られた産出物(生産物)を分子にした割合の話ではなかったか。だからそもそも、生産性が上がったからといって「生産量」が上がるとは限らない。あくまで効率の話だからだ。もちろん、同じだけ稼働すれば生産性の上昇は生産量の上昇をもたらすことになるだろうが。
同じ生産量を維持できるなら、生産性が上がった分稼働を減らしてもよいのではないか。そのように思いはするものの、競合相手がその論理に従った行動をするとは限らない、むしろ出し抜こうとし合う関係なので成立しない。結果として、生産性は上がっても稼働は減らず、生産量は増え続ける。資本主義の結末とはいえ、本当にそれで自分たちは幸せになれるんだっけ、と考えてしまう。
今日作った夕飯
- ごはん
- 塩サバの焼いたの
- 鶏レバーの甘辛煮
- 新玉ねぎとキュウリとワカメのポン酢和え
- ホウレンソウと油揚げの味噌汁