コトリ式

場所の記憶とその積層

会社の事務所から歩いて10分ぐらいのところに、自分が通っていた中学・高校があって、ちょっと歩いて新宿の方に行こうとすると、すぐ横を通っていくことになる。一昨日も、税務署に行く途中で通った。

当時と比べると街並みはだいぶ変わっていて、今はすっかり韓国料理と韓流の街。女性を中心に人が増えて、にぎやかになった。毎日歩いた通学路はもう使われなくなっていて、新しくできた広くてきれいな道を後輩たちが歩いているのとすれ違う。

街とか道とか、何でもないような風景が、昔の風景と重なって見えるのは年を取ってきたからなのかな。場所に結びついたかすかな記憶のようなものはたしかにあって、そういう場所は行けばわかるし、別に確かな記憶が思い出されるわけでもないのに、なぜか懐かしくなる。

きっと誰もがそういう記憶をもっていて、その積層が今なのだろう。人によって重なって見える風景は違っているけど、その全部を重ねたところが、きっと今のその場所。

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